正しい生き方|How man to be

 

 

少しだけ真面目に記事を書いてみようと思う。正しい生き方ってなんだろう。もちろん、正しい生き方なんて人それぞれだし、決定的な定義も存在しないのは重々承知している。

また、正しい生き方という問いかけ自体ざっくりしていて、どう答えるのが正解なのかも千差万別だ。

それ以前に、ぼくみたいな既に人生の王道ルートから脱線したような人間が、正しい生き方について書くこと自体おかしな話だ。まるで方向音痴の人に道を聞くようなもんだ。

 

だけどぼくは今こうして書いている。ぼくは人生に関しては何も知らない無知だ。だが、人生ってこうなんじゃないだろうかという想像くらいはできる。

例えば、人生は頑張る人には優しいが怠ける人には厳しいとか、友人のアドバイスはほとんど役に立たないとか、食パンを落としたときは必ずバターを塗った面が下になるとか、口内炎はものすごく痛いとか。

人生なんて、ちっぽけな暇つぶしだ。

 

もちろん、あなたにはあなたの正しい生き方があって、ぼくにはぼくの正しい生き方がある。だから、これから話すことを聞くも聞かないも参考にするもしないも、全てあなたの自由だ。

その上で、これは無知な一個人の小さな鳴き声に過ぎないということを前提に読んでほしい。ただ、誰がどう思おうが、これがぼくの考える正しい生き方である。

それでは始めてみる。

 

 

正しい生き方とは、「自分と周りを少し幸せにできる生き方」

ぼくが思う正しい生き方は、自分と周りを少し幸せにできる生き方である。

なぜぼくがこれを正しい生き方だと思うのかを理解してもらうには、いくつかの前提を先に話しておきたい。

まずそもそも、宇宙とは何か?僕らはなんのために生まれてきたか?人間とは何か?生きる意味とは何か?自分とは何か?を少し考えてみたい。

とても哲学的な響きだが、そこまで難しく考える必要はないと思っている。なぜなら、考えてもあまり意味のない質問だからだ。

 

僕らはなんのために生まれてきたか?

人間ってなんだろう。僕らはこの宇宙の地球という星に生まれた。たまたま地球が生物が生きていくのに適していたから、たまたま生まれただけだ。

程よい気温と湿度、そしてたくさんの水。天文学的な確率の元、僕らが誕生した。

そして何より重要なのは、僕らは進化してきたということだ。小さな核しか持たない微生物から、何百万回、何千万回、何億回と進化分岐を繰り返し、その結果僕らが生まれた。

環境の変化や天変地異、宇宙からの脅威の飛来など、あらゆる条件が生物の進化に影響して、僕らのような知的生物が誕生した。

これらの歴史の過程がほんの1mmでもずれていたなら、今地球に存在する知的生物は僕らとはまるで違った容姿をしていたかもしれないし、もはや存在しなかったかもしれない。 

だからそもそも、僕らなんてのは、”果てしない時間軸上の一瞬にたまたま現れた少しだけ知能を持った生物”に過ぎない。それ以下でもなければ、それ以上でもない。

それを奇跡と呼ぶ人もいれば、ただの偶然と呼ぶ人もいるし、進化の必然と考える人もいる。それは各自、好きに思えばいい。

ただ、ぼくがここで強調したいのは、僕らはただの意思を持った有機体であるということだ。

“たまたま”存在しているだけの知的生物に過ぎない。だから僕らの生まれた意味なんてものはないし、そこには何か運命のような使命のようなものは存在していないと考えている。

それは宇宙の誕生にも当てはまり、宇宙なんてのもたまたま発生した現象の結果だ。たまたまの賜以外の何者でもない。宇宙の誕生や存在についての仮説は数多くあるが、ぼくは全てはたまたまであると考えている。

ただ、これ以上は僕らは知ることができない。

知ることができないことに時間を割いても、あまり美味しいさがない。

 

僕らの生きる意味は?

これも結局は、僕らの生きる意味なんてものはないというところに収束する。

考えれば考えるほど、人生の意味、生きる意味、僕らの存在意義なんてものは全て無意味に等しく思えてくる。どうせはいつか消える物、そこに意味を求めてなんの意味があるのか。

例えば、あなたはなぜ蜂は空を飛ぶのか?その意味を考えたことがあるだろうか。そんなもん、考える意味がない。考えても意味がない。例え意味があったとしても、結局は意味はなくなる。

蜂がなぜ飛ぶのかなんて、それが彼らに適しているからであり、彼らのDNAがそうさせるのであり、それらも全て進化の過程でたまたまそうなったからだ。意味なんてものはない。

だがしかし、僕ら人間は少しだけ頭が良くなり過ぎてしまった。本来であれば、ただDNAに従って本能のままに生きていればいいものを、無駄にも意味を考えるようになってしまった。

その挙句、ありとあらゆる物の意味を探究し、発見し、想像し、空想し、妄想を膨らませてきた。しまいには、生きる意味を考えるようになってしまった。

きっと原始的なエンターテイメントでは、知能が著しく開花してしまった僕らを満足させるには不十分だったのだろう。

だから僕らはより自分を満足させるために新しい物を作り続けてきたのだ。そうすれば、より満足できる何かに出会えるかもしれないからだ。そしてたぶん、最終的に、”自分の人生に意味を持たせること”それこそが真の満足につながると思ったのだろう。

そんな訳で、今日も僕らは自分の生きる意味を考えている。自分の人生に意味を持たせるために、自分の人生の意義を見出すために。

しかし、本来、意味なんてものはない。強いて言えば、幸せになることぐらいだろうか。どうせ意味のない人生なら、苦しむより少しでも幸せになった方がマシだ。

苦痛を感じるより、気持ち良くなった方がいい。結局、いつも最後はこんな結論にだどりつく。だけど一つだけ忘れて欲しくないことがある。

それは幸せを追い求めるあまり、幸せを追い求める手段を目的にしてしまわないことだ。これほど本末転倒なことはない。

僕ら人類はより幸せになるために生産を続けてきた。自分をさらに満足させるために、新たなエンターテイメントを作ってきた。しかし、決して満足することはなかった。だからさらに追い求めた。

その結果、生産することが目的になり、幸せになることを忘れてしまっている。現実、多くの人が働き過ぎで精神を病んでいる。中には病気になったり、酷い場合には電車を止めることになってしまう人もいる。

だから大切なことは、幸せは追い求め過ぎず、かといって幸せを追い求めることを怠ることなく生きることだと僕は思っている。

なぜなら、僕らの生きる意味なんてのは無いも同然なんだから、どうせ意味の無い人生なら少しでも幸せになった方がマシだからだ。

その中で、僕らは決して満足できない生き物であることを忘れずに生きる。それが、せめての生きる意味ではないだろうか。

 

自分って何?

人は誰もが”自分は特別だ”と考える。実際そんなことは無い。

ただ僕らはあまりにも考えることができるから、自分という存在を考え過ぎてしまう。その結果、自分を確認するための一つの手段として、僕らはたくさんの抽象概念を使う。

どこで生まれたのか、どんな言葉を話すのか、何を信じるのか、何が好きなのか、どんな音楽を聴くのか。

あなたはきっと日本で生まれ、日本語を話し、特に信仰はしていない可能性が高い。もしかしたら野球が好きで、Ed Sheeranを好んで聴くかもしれない。

たぶん日本人らしい名字と名前とを持っていて、夢を追いかけている最中かもしれない。そしてきっと大切な家族がいて、いくつかの友人と連絡を取り合っているだろう。

ただそれだけのことだ。良くも悪くも、特別なものなんて存在しない。

逆に考えてみればよく理解できる。特別な存在ってなんだろうか?芸能人は特別なのか?有名Youtuberは?芸術家は?歴史的な偉人は?

彼らは特別だろうか。普通に考えてみれば、彼らは特別かもしれない。でも、深く考えてみれば、彼らは決して特別ではないという結論にたどり着く。

もし彼らが特別なら、何が彼らを特別たらしめているのだろうか。多くの人が成し遂げらない偉業を達成したから特別なのか?はたまた、唯一無二の才能があるからだろうか?

もしそれが正しいなら、多くの矛盾が湧いてくる。例えば、大きな偉業を成し遂げてたとしても、全く注目されない人もいるからだ。

それに、どのくらいの偉業ならいいのかとか、どの程度の才能なら認められるのかとか、一体誰が決められる?さらに言えば、個人々人の価値観によって誰が特別かや誰が特別じゃないかなんて大きく変わってくる。

それこそ突き詰めれば、僕ら人間なんてのは大まかな設計図は同じだが、能力や感じ方、体型や容姿はみんなそれぞれが唯一無二だ。

それなのに、誰かが特別だなんて、どうして決めることができるだろうか。

もちろん、その時代のニーズにうまく答え、大成功を収めた人たちは大いなる尊敬に値するが。

つまるところ、自分なんてのは”その時”にたまたま存在しているだけのホモ・サピエンスという少し知的な生物に過ぎない。そこに特別なことや、与えられた使命なんてものは存在しないのである。

だから、自分に大して大きな期待感や特別感は持たず、ただ気楽に生きればいいと僕は思っている。

なぜなら、無駄な期待感は幸せを徐々に蝕むからだ。

 

じゃあ、正しい生き方は?

ここまで読み進めてくれた方なら、なぜ僕が「自分と周りを少し幸せにできる生き方」が正しい生き方なのかを少しは理解してくれたかもしれない。

僕は人生を”意味のない長い暇つぶし”だと考えている。別に悪く言っているつもりはないが、そう聞こえたらなそう受け取ってもらって構わない。

僕がこれまで話してきた通り、自分が生まれた意味にも、生きる意味にも、自分という存在にも意味はない。

そんなものは全て、少しだけ頭の良い僕らが後付けしただけの話だ。ただ考え過ぎてしまっただけの話だ。

じゃあ、この意味のない人生をどう生きるのが正解なのか?

とても簡単なことだ、幸せに生きればいい。僕らは快感を求め、不快感を避けるようにプログラムされている。だったら、その通りに生きればいい。

何度も言うが、どうせ生きるなら、苦しむより幸せになった方がマシだ。そして、僕らは運が良いのか悪いのか、多少なり考えることができる。

どうすれば少しはマシな結果になるか、考えて行動することができる。だったら、是非ともその能力を活用しようではないか。

ただ幸せには限りがないので、追い求めすぎることは危険だということだけは忘れずにいたい。なので、少しの幸せを叶えられたなら、人生はそれで十分すぎるとぼくは思っている。

そして最後に紹介しておきたいが、自分を幸せにしたなら、周りも少しだけ幸せにしてあげればいいと思う。

大切な人たちを幸せにできれば、自分も幸せになれる。それに、周りを幸せにすればするほど、不思議と最後は自分に帰ってくるものだ。

そんなシンプルな話だが、なんだかんだで人生、中々思い通りにはいかない。

だからぼくはゆるく肩の力を抜いて、今日も今日とて小さな一歩を積み重ねていこうと思う。きっと、小さな感動がぼくを待っているはずだ。

 

 

最後に

最後に、この記事を書くにあたり、友人や家族、また知り合いの数人に「あなたが思う正しい生き方は?」と聞いてみた。

みんなそれぞれに違った考え方があり、とても面白いと思った。

参考になる部分もたくさんあったので、最後に載せておきたい。

・死ぬときに周りに悲しまれる生き方。

・少し””バカ””くらいの生き方。

・悪いことをしてはいけない。

・自分の意思を持つこと。

・善人である必要はない。

・早く寝て、早く起きて、そして仕事して、そして帰ってきて、遊んで、たまにどこかに出かける。

・家族を大切にする。

・自分の信念に従って生きる。

・人に貢献しよう。

・もう二度と同じ日はこないと思って生きる。

・感情を大切にして生きる。

答えてくれた方、ありがとうございました。