神の存在を考えてみた

 

 

こんにちは、すぐるです

 

 

 世の中は面白いもので、自分が考えてもみなかった分野を人生をかけて研究している人たちがいるんです。神様の存在を証明しようとする人たちもそう

ぼくはまるで神様の存在を証明しようなんて考えたこともありませんでしただってそんなん、いるわけないじゃんって。

でもこれはただの思考停止で自分の知識の乏しさに気づいていないだけだったんです。神の存在はなにも、科学だけが正しいんじゃないって

今日は、言葉の力と想像力をフルに使って、神の存在を証明する考え方を紹介していきたいと思います。

 

 

 存在論的証明を使えば、神がいることを証明することができるんです。これは、中世の哲学者アンセルムスの論証です。

証明は次のようになります。神は完全な存在である。ゆえに、神が存在することは神の完全性を表している。というもの。

これはつまり、もし神が完全な存在なら、「存在できない」ということは完全じゃないよね。だから完全である神は存在していなければならない。という考え方ですね。

ぼくはこのロジックを聞いたとき、「ああ確かに。言葉の力ってすごいな」と思いました。その一方で、これは定義があっての証明になるから、神が完全じゃなかったら存在しないってことだよね。とも思いました。

 

 

 次に、宇宙論的証明を使えば、神の存在を証明することができるんです。この論証は、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが初めだと言われています。

証明は次のようになります。今存在する全てのものには原因があるこの原因をたどっていけば究極の原因があるはずだ。つまりその第一原因が神だ。というもの。

これはたとえば、本が存在しているの(結果)は、筆者がいる(原因)からだ。と同じ原理ですね。つまり、結果があるのは原因があるからだと

だからその全ての原因は、原因がなくても存在できる神のおかげだよね。ということですね。これはかなり頭を使いました。

 

 

 3つ目の神の存在を証明する方法は、目的論的証明です。この論証は、哲学者いイマヌエル・カントにおいては自然神学的証明とも言われています。

証明は次のようになります。こんなに美しい世界が偶然に生まれるはずがない。きっと、設計者が目的を持って作り出したに違いない。それが神だ。というもの。

これはつまり、何か美しいものが急に生まれるわけないよね。きっと何者かが目的を持って生み出したはずだ。でなければ幸運すぎる。という考え方ですね。

でも実はこの考え方は、チャールズ・ダーヴィンの自然選択説によって否定されているんです。全てのものは進化の過程で淘汰されていく。という説ですね。

 

 

 そして、最後の神を証明する方法は、道徳論的証明です。これも同じく、哲学者イマヌエル・カントが挑んだ証明法です。

証明は次のようになります。道徳的に正しい行いをしたなら、それに見合う幸福を与えてくれる神がいるべきだ。てか、神がいないと困る。というもの。

これはつまり、不公平にならないように、良いことをした回数と受けとるべき幸福の比例関係は、神様によって保証されていなければならない。という考え方ですね。

ぼく個人的には、これは少し乱暴な証明法だなって思いました。だって、「神様、いなきゃ困るよ。」って、なんか笑えましたから