みなさんこんにちは。
更新サボりまくってる系英語ブロガーのすぐる(@sugueigo_com)です。
昨日、同じ中学と高校に通ってた友人と鳥貴族で飲んでたんですけど、久しぶりに中学の時の話に花が咲きました。
学校の成績の話とか、
あの子は今どうしてるのか?とか、
ぼくの苦い初恋の話とか。
で、今思い返してみれば、中学の時のぼくってかなり周りからの評価を気にするタイプの子でした。
端的に言っちゃえば、内申点を超気にしていました。
別にそれ自体は悪いことではないですが。
でも、あまりに内申点の評価を気にするあまり、得意な教科の勉強時間を割いてまで苦手な音楽、美術、家庭科の勉強を必死になってやっていたんです。
それに、これらの科目で実技以外で先生に評価してもらおうと、一生懸命にこびを売っていました。
つまり全教科で評定3以上を取ることに躍起になっていたんです。
別にこれはこれで良い事だとは思っています。
学生なのですから、どんな科目でも一生懸命に取り組むべきです。
しかし、社会人になってからも何事も平均以上を目指そうとする態度は好ましくないよなという話です。
人生、美術が1でも、英語が5ならそれで良いんです。
極論を言ってしまえば、
英語が5なら、他は全部1でも良いんです。
そんな話をしていきます。
満遍なく平均点が取れることに価値はない。
レベル10が最高値で、レベル1が最低値として、
レベル5の武器ばかり揃えても戦えないと思うんです。
世の中、周りには無限に競合がいるわけで、
コミュニケーション能力が5の人より、断然コミュニケーション能力が10の人に仕事を頼みたいわけです。
そっちの方が断然成果が上がるわけですから。
そんなわけで、
自分は何かしらのスペシャリストにならない限り、絶対に自分の出番は回ってこないということです。
ぼくが中学1年生の時の話を例に出すんですけど、
ぼくは当時成績は悪い方ではありませんでした。
むしろ、中学1年生の3学期のぼくはかなり成績優秀でした。(自分で言うのもなんですが)
英語、数学、国語、社会、理科、の平均評定は4以上でしたし、また、それ以外の科目、保健体育、美術、音楽、家庭科の平均評定も3.5以上でした。
いわゆる、“”少しできる子””のようなタイプの学生でした。
そんなある日、中間テストを間近に控えたホームルームの時間、スペシャリストによるテスト対策セミナーという名で、各教科の成績優秀者がクラスの前に出てテスト勉強法を紹介するという時間がありました。
そしてそこで選ばれた数学代表の小松さんは、テスト全体の順位で言ったら断然ぼくより低いのですが、数学がめちゃくちゃできるという理由で先生に選ばれて、クラスの前でみんなにテスト勉強法を発表していました。
これを見た時、ぼくは中学1年生ながら、相当なショックを受けたのを今でも覚えています。
「え、だって俺の方があの子より全然成績上なのに、なんで俺は選ばれないの…….」って。
でも考えてみれば当然の話ですよね、
どうせスペシャリストに頼むなら、他の分野に精通していなくても、その特定の分野に精通している変態に頼みたいわけです。
そっちの方がエンタメとしても教育としても、断然大衆受けがいいですから。
to大衆に限らず、BtoBの場面であったとしても、
どうせ誰かに頼むなら、
平均以上の人より、トップレベルの人に頼みたいわけです。
だからぼくは思いました。
一生懸命に全教科で平均以上を狙う必要はないなって。
どれか一つの分野に深く精通していれば、
それだけで十分だって。
まさにぼくがどんな科目でも平均以上、中の上以上を目指すタイプの人だったので。。。
確かに、何事においても80点を取ってくる人はすごいです。(一応自分のことも褒めておく)
とても器用で、オールラウンドで素晴らしいです。
でもしかし、主役として活躍できる場面は一生回ってこないと思うんです。
特に、個人がネット上に自由にメディアを持つことができるようになったこの全芸能時代においては、全分野で平均以上が出せるってことに価値はないと思っています。
平均なんて、どこにでもあるわけですから、面白味も変態性も感じませんよね。
それよりも、他が全部ダメでも、
一つの分野でバカみたいに突き抜けていたら、
それはめちゃくちゃ面白いし、そういう人から話を聞きたいと思わされます。
だからつまり、
一つのことだけ極めよう
ということが言いたいのです。
ぼく自身、平均より下であることを恐れていたし、
満遍なくできることが良いことと思っていたタイプの人間だったので、思いっきり自戒を込めて話をしています。
ぼくが伝えたいこと、全て極めている時間はない。
という話を踏まえて現在、
ぼくは英語を極めまくっているわけですが、
こうして一つのことに死ぬ気で取り組んでいると、見えてくるものがあります。
それは、
“”一つのことを極めるには、途方もない時間がかかる””
ってことです。
ぼくは中学と高校を合わせると、
かれこれ10年間は英語を勉強しています。
10年ですよ。10年。
10年英語だけは真面目に勉強してきました。
そんな途方もない時間を英語学習に費やしてきたわけですが、
正直、ぼくは自分の英語力をまだまだだと感じています。
これから英語を完璧に極めるとなると、
あと10年は欲しいなと言ったところです。
つまりですね、
ぼくが心から伝えたいことは、
一つの分野を極めるのにもこれだけ途方もない時間がかかるわけですから、あれこれやっている暇なんてのはないってことです。
かつてぼくは(つい最近まで)、
英語だけではなく、
プログラミング、デザイン、マーケティングといった他の分野にも手を出して勉強していました。
今はもう意味がないと分かって辞めましたが、
こんなに手を出して、逆に自分の首を絞めていたんです。
確かに、ある程度勉強すれば60〜70点、平均より少し上の点数をとることは難しくありません。
ぼくも実際、プログラミングを勉強していたおかげでSES系の開発下請け会社で正社員として働く経験をしたことがあります。
でも、ぼくがやった仕事なんて、最下層なわけです。
結局、平均以上が取れる人に回ってくる仕事なんてものは、極限られているんです。
やっていても全然楽しくないわけです。
だからやっぱり、
楽しい仕事をするためにも、
平均じゃなくて、100点を取れるくらいに突き詰める必要があると思っています。
それが一点集中であり、全リソースを割かないと、やっぱり簡単にはたどり着けるところじゃないんです。
英語、プログラミング、デザイン、マーケティング、動画編集、これらに限らず、何事においても、そうだとぼくは思っています。
一つのことを極めるのは簡単なことではありません。
あれこれ手を出して、満遍なく平均点を狙う時間はないんです。
じゃなくて、一つだけ。
一つだけに絞って、突破するのが良いのかなって、ぼくは考えています。
どうせ1回限りの人生、やるなら主役を楽しみたいですからね。
一つのことを突き詰めれば、そこから無限に学べる。
じゃあ、一つの分野だけ勉強していれば、他は何も勉強しなくて良いのかよ?
ってなると思いますが、
少し誤解です。
厳密に言えば、
一つの分野を極める過程で、
その分野から外れた領域についても多くを学べます。
ぼくは英語を勉強しているので、
英語を例に取って話しますが、
英語の長文を読んでいると、度々、生物の生い立ちや歴史的な事件に関する話をたくさん読みます。
もう説明する必要はないですね。
ぼくは英語を通して、歴史、生物、哲学、文学、心理学、国語、コミュニケーション、文化、といった幅広いことを学んでいるんです。
別にぼくはこれらの分野を個別で勉強しているわけではありません。
でも、英語という扉を通じて、多色な学問に触れられているんです。
これがまさに、ぼくが
一つのことだけを極めよう
と話しているもう一つの理由です。
結局、学問はみんなどこかしらで繋がっているんです。
例えばマーケティングを勉強している人が、電車内にペタペタと貼ってある広告を見たとします。
その人はマーケティングに精通しているので、この広告のキャッチコピーは面白いなあと感心すると思います。それと同時に、この広告のデザインは、ターゲットに刺さりそうだなあとも考えるわけです。
結局、一つのことを極めていけば、他は勉強していなくても、勝手に学んでいるんです。
逆に危険なのが、あれこれ手を出して勉強することです。
広く浅く勉強してしまうことです。
多くの分野を学んだつもりでも、結局何も得られていないのです。
実際、英語においても文法書を学び、日常英会話フレーズを学び、発音を学べば、外国人と簡単な会話をすることはできると思います。
でも、それで得られたものって、結局はただの英語の知識なだけであってテストで良い点数が取れて終わりなだけです。
その先に広がる本当に愉しみと無限の学びには到底だどりつけないわけです。
とまあ、そんな大層なことを言えるほどぼくは博学じゃあありませんが(笑)
ごめんなさいね。
ちょっとしゃばりすぎてしまって、
かなり恥ずかしいですが、
つまり、
一つのことを極めていけば、その過程で他の分野につていも多くを学べるということです。
だから安心して、一つのことだけをやってくださいってことです。
というわけで今日も、ぼくは英語をガチ勉強していきます。(スマホをいじるな。)
そろそろ英検1級と、IELTS7.0を取りたいところです。
しっかりと結果を出して、バシッとかっこよく決めたいですね。。。
頑張ります。。。
てなわけで、
また次の記事で、さようなら。