キリスト教は環境破壊の原因か?

 

 

今世界の環境が酷く汚染され破壊され続けている現状に疑いはなく、松平功(2016, p17)によると、急速な環境破壊と生態学的破壊によって事はすでに未来への課題などではなく、現在の人類にとって大きな問題になっているという。

今のように地球環境が著しく損なわれている直接的原因として、技術と経済の発展に伴う人口爆発と、大量生産及び大量消費活動が考えられ、それによって引き起こされる温室効果ガス排出量の増加、森林破壊、有害廃棄物の増加は、生態系やオゾン層の破壊、そして海洋汚染に寄与している。この点に関して、中村洋一郎(2017, p334は、現在の環境破壊に至る人類の歴史を振り返ると、ヨーロッパ人が開発し定着させた近代科学文明が環境に破壊的な打撃を与えていることは衆目の一致する所であるという。続けて、キリスト教が思想的にその科学技術文明の後ろ盾になっている事に誰も異存はないだろうと主張する(中村洋一郎 2017, p334)。また同じように、田村光三(2010, P44)は、リンホワイト(1967の言葉を用いて、現代われわれ人類が直面している生態学的危機は,近代の科学・技術によってもたらされたものであり、その近代の科学・ 技術を生み、育て、発展させたのはキリスト教であるとしている。

しかしながら、キリスト教が環境破壊に対して根源的に思想的な原因を作っているという主張に対して、畠中和生(2002, p26)は、シュレーダー =フレチェ ット(1991)の引用を用いて、キリスト教的伝統に環境悪化や資源枯渇の責任があるというよりも、人間の貪欲やエゴイズムや見通しの狭さが、環境問題の大部分を引き起こしたというのが本当ではなかろうかと述べている。私個人としては、シュレーダー=フレチェ ットの考えに深く同意を示す一方で、やはり環境破壊の根源的な原因はキリスト教的伝統に根差していると考える。

そう主張する理由は、西洋において技術が発展し生産量が著しく増加した産業革命期以降において、資源の大量消費と汚染物質の大量排出は、いづれ必ず深刻な環境問題を引き起こすと容易に想像できる事ではあったが、キリスト教的教えを道義的な盾として自分たちの行動が正当であるような理由付けをし、一心に経済の拡大を目指し続けたという事実は変えられないからである。この非を西洋に置く訳は、資本主義的イデオロギーは西洋を発端としており、その後西洋列強が自国の利益と軍事的影響力の拡大のために、自由市場経済を世界に広めたからである。

資本主義と環境破壊は切っても切り離せない因果であることは言うまでもないが、資本主義の拡大にはどうしても倫理的、道義的基盤が必要であり、キリスト教的伝統が根源的にその役割を少なからず果たしたと言えるからである。この点に関して田村光三(2010, P53)は、人間の自然動物に対する搾取権について、キリスト教の教えは無制限的な支配権行使への道を開くことを可能としたと言う。

 

参考文献

・中村洋一郎(2017)「地球環境の悪化とユダヤ・キリスト教の人間中心主義 」,『経済学論纂』 57巻, 3・4合併号, pp.333-362.

・松平功(2016)「危機的環境破壊の要因と西欧キリスト教との関係性」,『桃山学院大学キリスト教論集』 第48号, pp.17-49.

・畠中和生(2002)「宗教 と自然環境破壊」,『広島大学大学院教育学研究科紀要』 第2部, 第51号, pp.23-32.田村光三(2010)「「地の支配」(dominium terrae)考 」,『政經論叢』65巻, 4・5号, pp.39-80.

・村上陽一郎(1994) 「文明のなかの科学』、青土社。

・Schrader =Frechette, K.S. [1991] Environmental Ethics (Second Edition), The Boxwood Press. (K• S・シュレーダー=フレチェット〔編)/京都生命 倫理研究会〔訳〕〔1993〕「環境の倫理』 上・下、晃 洋書房〕